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2011年3月11日。
第一報は、協力隊仲間からの電話だった。
自宅近くが地震らしい、震度7との情報があって、でも家族と電話がつながらず連絡がつかない。
落ち着かない様子で、彼女が教えてくれたのに、全く実感がわかなかった。

数時間後、バングラのJICAオフィスから日本で大地震の第一報と日本の家族と連絡を取るように連絡が入る。
実家の家族に電話をするが、繋がらない。

夜に実家に電話すると、ついさっきまで津波で高台に避難していたと言われた。
鹿児島県大隅半島の津波の高さ、1m50cm。


翌々日、テレビで状況を見て、かなり驚いた。
これほどまでとは思っていなかった。

バングラデシュの新聞各紙も1面で日本の状況を伝えていた。
テレビでも日本の津波の状況、それから原発の状況を伝えている。

地震の翌日から、知り合いや職場のベンガル人から私の家族は大丈夫かと心配する電話をいただいた。

リキシャワラや、ドカンワラ、ホテルの関係者、同じ家の住人達など。
多くの人が、日本の状況を心配してくれている。
日本人の一人として、その気持ちをとてもうれしく思う。
出来れば、その気持ちを関係者の方々に伝えたい。


隊員仲間でも、家族が避難所暮らしを余儀なくされている方々がいます。
彼・彼女たちの気持ちを考えると、今、この場で出来る事ってなんだろう、と考える日々です。

何よりも、亡くなられた犠牲者の方々のご冥福をお祈りします。
また、今後の復興が滞りなく実施されていくことを願わずには居られません。

早く日常生活が取り戻せますように。
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2011.03.20 Sun l バングラの生活 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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